現代語訳
阿弥陀仏の浄土に往生すれば、ただちに真如をさとった身となり。
この度は、正信偈「得至蓮華蔵世界 即証真如法性身」について意味を分かりやすく解説します。
語句説明
蓮華蔵世界・・・蓮華より生まれた世界。阿弥陀仏の浄土の世界のこと。
即・・・①1つの事柄が不二であり、不離のこと。②同時即のこと、即位の意味
証・・・さとり、証果。滅度、正定聚に住すれば必ず滅度に至る。
真如法性身・・・真如は真実、常住不変。阿弥陀仏のこと。
正信偈の原文
得至蓮華蔵世界
とくしれんげぞうせかい
即証真如法性身
そくしょうしんにょほっしょうしん
正信偈の書き下し文と現代語訳
【書き下し文】蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなはち真如法性の身を証せしむと
【現代語訳】阿弥陀仏の浄土に往生すれば、ただちに真如をさとった身となり。
正信偈の分かりやすい解説
悟りを蓮華に例えられる
阿弥陀様は、どのような人間であろうと全ての人を救いたいと願ってくださっています。阿弥陀様の願いがあり、長い長いご修行の結果が「功徳」ですが、その功徳が「南無阿弥陀仏」という形となり、すべての人びとに届けられています。また、その南無阿弥陀仏に込められた功徳があまりにも尊いので、大いなる宝物と言われ、「功徳大宝海」といい、わたし達に恵みをもたらす海に喩えられています。
すでに私たちのもとに「南無阿弥陀仏」と届けられ、功徳に満ちた真っ只中にいますが、その阿弥陀様にお任せ(帰依)するのかどうか、それだけが私たちに残されている問題です。
浄土に往生するということは、どういうことでしょうか。正信偈の中で天親菩薩について「得至蓮華蔵世界 即証真如法性身」(蓮華蔵世界に至ることを得れば、すなわち真如法性の身を証せしむと)とお示しくださっています。
「蓮華蔵世界」とは、『華厳経』に説かれている浄土のことで、ここでは『阿弥陀経』に説かれる阿弥陀仏の極楽浄土のことと同じ意味で使われています。お浄土とは、「蓮華」のような徳をそなえた清らかな阿弥陀仏の国土ということです。『維摩経』には、
『維摩経』
高原の陸地には、蓮華を生ぜず。卑湿の淤泥に、いまし蓮華を生ず
とあります。これは白い蓮は、多くの花の中で最も尊ばれている花です。その蓮華は、すがすがしい高原には咲きません。そんな所ではなく、誰もが避けたくなるような、じめじめとした泥沼にこそ、この最も尊ばれる蓮華は咲くということを『維摩経』に記されています。
分陀利華とは蓮のことで悟りの象徴です
現代語訳 善人も悪人も、どのような人であっても阿弥陀仏の本願を信じれば、仏はこの人をすぐれた智慧を得たものであると讃え、汚れのない白い蓮の花のような人とおほめになる この度は、正信偈「一切善悪凡夫人 ...
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穢土から真如へ
阿弥陀仏の浄土は清らかな世界です。それは私たちが住むこの世界(仏教では穢土と言いますが)とは無関係な世界のように受け取れます。しかし、実はそうではなく、この穢土において、さまざまな煩悩を抱えた私たちこそを迎え入れたいと作られた阿弥陀様の清らかな浄土なのです。
私たちが「蓮華蔵世界」つまり阿弥陀仏の浄土に往生すると、どうなるのか。天親菩薩は「すなわち真如法性の身を証せしむ」と記されています。
「すなわち」とは即座ということです。「真如」とは「真実」を表し、「法性」とはあらゆる現象的存在が有している真実不変の本性という言葉です。真如法性ともいい、涅槃という意味でも使われます。「真実」というものがどこかにあるのではなく、この世界のすがたが「真実」といいます。しかしそれらは、自我の意識に霞む私たちの目では到底真実と思慮出来ません。親鸞聖人の『教行信証』には、
教行信証
実相は即ち是れ法性なり、法性は即ち是れ真如なり
と表されています。
言葉や文字で「真実」と表現すると、私たちの範疇の中に収まった事象で、かつ理解できる物事でしかなくなり、もはやそれは「真実そのもの」ではありません。仏教でいう「真実そのもの」のことを、「真如」といい、また「法性」といいます。その「真如」「法性」を「証する」とは、「真実そのもの」に目覚めるということで、それは仏の悟りを意味します。つまり「真如法性を証する」とは、仏に成るということです。
阿弥陀様の功徳として与えられている名号に帰依しお任せすることで、この身のまま浄土に往生している人びとの仲間にならせていただき、そして浄土に往生すれば、直ちに仏になると教えておられます。
天親菩薩とは、どんな人なのか
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正信偈の出拠
『教行信証』大願清浄の報土には品位階次をいはず、一念須臾のあひだに、すみやかに疾く無上正真道を超証す
『高僧和讃』願土にいたればすみやかに 無上涅槃を証してぞ
すなわち大悲をおこすなり これを廻向と名付けたり